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2015年2月16日

認知症をニンチと呼ぶことについて

こんにちは。グループホームいずみの 吉田です。

「認知症」という言葉。
最近では色々なところで耳にする機会が増えてきているのではないでしょうか。少し前(2004年)まで「痴呆」という言葉が使われていました。みなさんの中にも聞いたことがある方も多いかと思います。

世間一般に使われていた言葉。
なぜ時間と労力をかけてまで呼称の変更をしたのでしょうか?

「痴呆」を辞書で調べてみると、

愚かなこと。愚かな人。

とあります。
「痴」という字には、「愚かなこと、馬鹿」という意。
「呆」という字には、「愚か、馬鹿」「阿呆」という意。
つまり痴呆老人と書くと、馬鹿アホじいさん・馬鹿アホばあさんということになってしまいますよね。これを普通に行政用語としても公式に世の中で使われていたわけです。

それは差別や偏見も甚だしい!人権はどこに?さすがにマズいよね!ということで、「痴呆」から「認知症」に呼称が変更になったのです。

しかしその流れに逆行するかのような行為がタイトルにもある「ニンチ」という呼び方だと私たちは考えます。なぜ「認知症」を「ニンチ」と省略することに問題があるのでしょう?

主にそんな光景を見かける場面を見てみましょう。
残念ながら「ニンチ」と使っている人の多くは医療福祉従事者です。省略することで精通している感じ・熟練者っぽさを醸し出すことができるような感もあります。
「あの人ニンチだからさ」
「ニンチの人でしょ?」
「ニンチ進んじゃったね」
こんな場面を、耳にしたことある方もいらっしゃるかもしれません。

省略することのデメリットは以下の3つに分けられると思います。

【1】そもそも日本語として意味がおかしい。
「認知」という言葉を辞書で調べてみると、

(1)それとしてはっきりと認めること。 「目標を-する」
(2)法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子を,親が戸籍法の手続きによって,自分の子とする。認知されるとその子は非嫡出子となる。自発的に行うことを任意認知,裁判による場合を強制認知という。
(3)〘心〙〔cognition〕 生活体が対象についての知識を得ること。また,その過程。知覚だけでなく,推理・判断・記憶などの機能を含み,外界の情報を能動的に収集し処理する過程。(大辞林 第三版より)

とあります。
認知できることは正常とされており、認知能力の低下した状態が認知症であるとしているのに、ニンチがある=認知症だとなんだかよくわからない日本語になっちゃいますよね。言語能力を疑われてしまいます。

【2】事実関係が誤って伝わってしまう。
認知がある=認知できる、正常であるということですが、
「ニンチ」を普段から使っている人との会話では、ニンチがある=認知症であるという意味になってしまいかねません。
なんだか会話がちくはぐになってしまいます。
「どっちやねん!?」です。(なぜか関西弁)

【3】自らの専門職としての信用を失墜させてしまう。
「ニンチ」という呼称に危機感をもった人はたくさんいます。
そして、そういう人たちの多くは認知症に対して、介護に対して、福祉に対して、地域づくりに対して、先進的に取り組まれている方が多いです。
うっかり「ニンチ」と言ってしまおうものなら、「あれ?」と思われてしまう可能性大です。
一瞬で信用ガタ落ちです。

また、「ニンチ」と省略する場面での会話として
「あの人ニンチだからさ・・」
この「・・」に隠れた言葉・思いとして、
「どうせすぐ忘れるでしょ」
「どうせわからないでしょ」
といった意があるように感じられます。この見下した・人権への配慮の感じられない言い回しからの脱却こそが、痴呆から認知症への呼称変更の狙い・目的であったのに、まさに逆行する行為になってしまっています。

このように「ニンチ」と省略することにメリットは見出せないので、省略しないに越したことはないと思うのです。

さて認知症と呼称が変更されてから約10年。
「ニンチ」と呼ぶ人がいる一方で、ここ最近では、認知症に関して少しずつ理解が深まり、
・認知症になったからといって何もできなくなる、わからなくなるわけじゃない。
・認知症になっても適切な支援や周りの理解があれば、主体的に生きていくことができる。

といった認識の変化が広まってきました。私たちもグループホームでの実践を通して経験としてそれを感じています。また、認知症当事者によるワーキンググループが昨年末に発足し、「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」とメッセージを発することで、その声が国策にまで反映される運び(新オレンジプラン)となったことも記憶に新しいです。

なんだか認知症に関して新しい扉が開きそうな予感がしませんか?
私はそう感じています。
今はまだ「認知症」という言葉には、ネガティブな印象が強くある感が否めないですが、日々の取り組みなどから少しずつでもそんな新しい扉につながることを発信していき、認知症になっても変わらず暮らしていける地域づくりに取り組んでいきたいと考えています。

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先日の買い物の一コマ。困ったときに助けてくれる人がいれば、ゆっくり支払いするのを待ってくれる店員さん・他のお客さんがいれば、お買い物も楽しめるのです。